皆さんこんにちは、安達です。
先週の石倉のブログを見て、よし、私もまたご近所散策!ということで、今日はウチから車で10分ほどの(お散歩ちゃうやん)継体天皇陵三嶋藍野稜(太田茶臼山古墳)を見に行ってきました。20年ほど前に勤めていた会社の先輩が大阪へ営業へ行った帰りに寄り道をした、と聞いた覚えがあるのですが、ここのことだったかなぁ・・・
石倉のブログはこちらです。天地天皇陵へお散歩に行ったのですね。
私の住まいは高槻市なのですが西端なので、少し行けば茨木市になります。継体天皇陵は茨木市太田(おおだ)というところにあります。ぐる~っと住宅地に囲まれています。
この太田茶臼山古墳は、出土埴輪(近くの新池埴輪製造地のもの)から古墳時代中期の5世紀中頃の築造と推定されているそうです。宮内庁により継体天皇の陵に治定されているのですが、天皇の没年と築造の時期が合わないため、現在では真の継体陵については今城塚古墳(高槻市郡家新町)とする説が有力視されているのだそうです。
今城塚古墳のお散歩についてはこちらをどうぞ。(暑い日でした・・・)
今城塚古墳は、宮内庁が陵墓と治定していないため、誰でも墳丘に登ることができます。
さて、継体天皇陵のすぐ西側の公民館の前にコインパーキングがあるのでそこに車を停めて、散策開始です。
太田公民館の建物の脇に、こんな看板が立てられていました。
ここが入口です。京都ナンバーの黒い軽自動車が停まっていました。管理されている方の車かな?
宮内庁の看板がありました。
左右には何本もの松の木が植えられています。
道を進んでいくと、拝礼所です。黙祷。
前方後円墳の、こちらが四角のてっぺん側になります。南向きの陵墓なのです。
拝所の前はきれいに砂利に模様をつけて整備されています。宮内庁警護部三島部事務所、という建物もあり、そこに詰めている方が管理なさっているのでしょう。。踏みつけて良いものかどうかためらいつつ、歩き回りました。
陵の周りは堀があり、水が張られています。その周りは金網フェンスで囲われていて、そのフェンスのすぐ隣は民家です。なんだか、不思議な感じがします。お家の前の道路からフェンス越しに撮ってみました。西南の角の部分です。東側には藍野病院という割と大きな病院があります。高層階からは堀に囲まれた前方後円墳がばっちり見えそうです。
~おまけ~
来る前に地図を睨んでいて、すぐ隣に神社があるのを見つけたので、せっかくなので行ってみることにしました。この日はどなたもおられず、ひっそりさみしい感じがしましたが、令和2年に改築をされたとのことが書かれており、氏子さんたちに大切にされているのだな、と感じました。
裏まで回ってみましたが、そこまでは手入れされている様子はなく、これ、暗かったらこわいよなぁ・・・と思いつつ、車へ戻りました。
太田茶臼山古墳、いったい、この陵はどなたのものなのでしょうね・・・
とは言え、この規模の陵を造らせる身分の方であることは間違いありません。
もう少し遠出ができるようになったら、世界三大陵墓のひとつ、「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」へも行ってみたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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